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大阪高等裁判所 昭和26年(ラ)85号 決定

抗告人 簾太郎

右代理人弁護士 阿部甚吉

野村清美

抗告人 簾一美

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告理由の要旨は

一、抗告人の氏である「簾」の字が難読難書であることは原審判書のタイプで印書されているところが四ヶ所に亙り毛筆で補筆されている事実に徴しても明白なことで実生活に於て著しく不便を感じている次第で「簾」の字が当用漢字に入つていない以上現代の義務教育課程では此の字を教えるものとは考えられず、従つて将来益々その難読難書の程度を加重されるものと謂わねばならない。

二、「簾」は道具の名で、且社会に普通有るものではなく、珍奇なものであるから、か様な道具の名を以て氏とするのは誰でも不快とするところで現に抗告人等に子がない為め養子を迎えようとしても此の氏の故に破談になつた有様である。

三、簾(ミス)は英語の「ミス○○」のミスに通じ嫌悪の情を禁じ得ない。これを他の音に読みかえようとしても、「レン」又は「スダレ」と読みかえる外なくこれでは氏としての感覚を伴わないからミスの音があつても他に読みかえのきく「三須」と改めこれを「ミヤズ」と読むのを適当と考えるが、必らずしも「三須」を固執するものではない。

要するに「簾」の氏が珍奇な道具の名であり難書難読で更に英語にまぎらわしい音であるから全くやむを得ない事由ある場合に該当するに拘らず、其の変更を許可しない原審判は不当であるから抗告に及んだと謂うに在る。

思うに人の氏名は其の人の全生涯を通じ(更にその死後に及んでも)其の人を特定して他の人との異同を弁じ、前後の同一性を明らかにするためのものであるから一旦定まつた氏名は濫りにその変更を許すことはできない。

殊に氏は人の家族共同体の単位を表すものとしてこれを祖先に承けて子孫に伝える処のものであるから尚更その変更は軽々に許すわけにはゆかない。これ戸籍法第百七条に於て名の変更については正当な事由ある場合とし氏の変更についてはやむを得ない事由のある場合に限る旨を規定している所以である。而してやむを得ない事由とは、例えば字が極めて書き難くて読み難く音を聞いても字の見当がつかず字を見ても読み方がわからないとか、音が他の卑猥不潔な物の名に通じたり人をして嫌悪せしめる類であつたり、或は外国人の氏かと誤るような場合であつて単に当用漢字にないとか他の物の名に同じという程度では未だやむを得ない事由があるものと謂うことはできない本件について観るに抗告人の氏「簾」(ミス)の字が当用漢字中になく可成り書き難く又読み難いけれども此の程度の難書難読は僅少の努力と記憶とによつて容易に克服出来る程度であり、又ミスは道具の名であるが別段人をして不快の感を抱かす物の名ではない(ミスはむしろ貴族的な高雅な物として印象せられている)而してミスは英語のmissに通じているが現在の我国に於てまだ人を呼ぶのにミス何々と呼ぶようなことがないのだから、かような外国語と音が通じていても日常生活に少しも紛わしさがなく、人に嫌悪の感を起させるものではない。

以上孰れの点から観ても抗告人の氏の変更するについて未だやむを得ない事由があるものと認め難いからその許可申立を却下した原審判は相当で本件抗告はその理由がなくこれを棄却すべきものとする。

仍て主文の通り決定する。

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